2020年2月1日付 さくら新聞掲載
そろそろ多様性万歳なアメリカにしごかれて19年になるが、それでもいまだに染みついている習慣の1つに、「日々の口約束でも真剣にする」というのがある。「1時に集合」と言ったら、1時(ぐらい)に集合するし、できなければ事前に連絡する。何かをお願いされて承諾したら、その約束は実行するし、できなかった時はちょっと悪かったなと感じる。
だが、ここアメリカ、いやもしかすると日本以外の国では、これが意外に裏切られることはままある。先日も棚を作るのを手伝ってくれると言っていたプエルトリコ人P君は約束の1時ではなく3時に到着した。写真撮影をしてくれると言ってくれたインド人N君は、前日約束した1時集合が当日になって3時になり、実際に会ったのは4時半である。また前々から「火曜にランチしよう」と言っていたインド人の仕事仲間はすっかり忘れてしまったのか、「今日、ランチどう?」と聞いてみたら「色々あって無理」とのこと。彼女はとても気の合う友人だが、特に以前の約束についても言及はない。まぁそういうこともあろうかと、実は私もお弁当を持参し、この程度ではビクともしなくなった自分を成長したなと思うことにしている。
この手のタイプが口約束でOKと言う時、正直何を意味してOKなのか聞いてみると、「そうなったら良いと願っている」という意味だと教えてくれた。つまり 「やります」という意味では全くなく、I hope soくらいの感覚。そういえばメキシコでもわざわざ語学学校で「断りたい依頼でも基本的にはSi(スペイン語でイエス)と言ってからノーと言わずに上手に断れ、ハッキリとNoと言うのは失礼である」と教えられ、メキシコではノーを意味するSiとイエスを意味するSiを文脈や態度・雰囲気から嗅ぎ分けなければならない、実に空気を読む必要がある、と言うことを学んだ。これが素人にはなかなかわからないのだが。
日本に帰国する時は、1ヶ月前時点で当日の待ち合わせ場所が駅の何出口かまで決める人もいるし、一度決めたらそれに関するコミュニケーションは概ねそこで終わりだ。ところがメキシコでは、1ヶ月前なんて先のことで誰もわからないし、何回かのリマインドは約束と同じくらい大事な役割を持つ。それでも前々から連絡して3回もリマインドしたのに、その週になって「歯医者がある」と言いだす人もざら。つまり、個人差があることは承知の上でザックリ一般化してしまうと、グレーの色の濃さはあれ、日本人以外とやりとりする時は、当日その時まで実現できるのかわからないドキドキ感が満載なのだ。ライブ感だけはある。
一方で逆の違いを国家レベルで感じるのが「契約」の重み。日本の契約書は一般に薄く、作業内容も「…等」と書けば、あとはいかようにでもなるケースをよく見たことがある。アメリカではそうは問屋が卸さず、プロジェクト開始前に、言葉の意味や範囲まで指定してキッチリと作業内容を明らかにした契約をまとめる。だから長くなる。日本の場合、「やると言ったらやる」世界だから、まさかの事態を考えて契約を薄く短くしているのかもしれない。だが、アメリカでも不可抗力で契約不履行になる事態については契約の中で担保されているし、むしろ作業内容を言葉で表現するプロセスを経ることで、プロジェクトを始める際にある程度意識合わせがキチッとできているように思う。少なくとも「聞いてなかった」という展開は比較的少ない。もしかすると、だからこそ文書として契約書に書いていない口約束については、軽めの扱いなんだろうか(結局未だに謎である)。
何れにせよ、日本を一歩出れば日本とは真逆の考え方・生き方が常識として存在する。でもそれならそれでどう対応するかを編み出せば、どこででも生きられるし、そこから学ぶしぶとさを培えば、地球上どこにいたって楽しめるに違いない。混乱をもはや楽しみながら、今日も多様性ワンダーランドで切磋琢磨の日々である。
さくら新聞より再掲