国を治す医者

12月 7, 2019

2019年12月7日 さくら新聞掲載

時は師走。きっと多くの人が1年の締めくくりに奔走し、1ヶ月後には新しい年の抱負を実行しているに違いない。そんな師走を繰り返して87歳になった頃、それぞれの人生の地図には誰がいて何が描かれているのだろう。

先日お会いした中澤弘先生は、群馬県生まれの御年87歳。ボルチモア近郊で鍼師をされている。歳を重ねてこんなシワができていたら幸せだなと思える、好々爺をそのまま絵にしたような優しさをたたえた笑顔だが、その目はとてもまっすぐだ。

横須賀の米海軍病院でのインターン後、1957年に25歳で渡米。ボルチモア市聖アグネス病院でインターン・レジデントを経て外科医になり、1989年には同市医師会会長、翌年にはメリーランド州医師会副議長まで務められた。また川崎市とボルチモア市の姉妹都市委員長として草の根レベルでの日米外交に貢献。両国から社会奉仕活動を称えられ、日本では叙勲を受けている。

普通は州医師会の副議長までになれば、後は悠々自適なリタイア生活という展開になりそうだが、先生は48歳でMBAを取得。58歳で指圧を学び始め、62歳には学生に戻ってUCLA医学部に通い、外科医の仕事は若手に譲って、67歳頃には今度は鍼師として「針一本で自立」される。2006年には米国鍼認定医学会会長、2008年には米国鍼医師会会長をされ、今も現役の鍼師である。

「ヒロシ、まだリタイアできないのか、とよく聞かれる」と笑い話をされる先生はしかし、当分リタイアなど興味なさそうだ。自叙伝『在米ドクター60年』を紐解くと、電車から見える田園から思いついた検便ビジネスや、アメリカに向かう船を見ていて心に宿った渡米など、先生の人生は、閃きと行動力、人の数倍の努力、そして周りの人への感謝の連続である。

「あまり物事をクヨクヨ考えない。当たって砕けろという精神があった。でも窮地に陥った時に『なんとかなる。自分はできる。』という自信があった。」と先生は仰る。一方で、インターン試験を受ける際は、敵性語として習得していなかった英語を、週末に千葉から東京まで行って終日映画館にこもり、日本語訳付きの映画の台本を片手に生の英語を俳優の口の動きを見ながら勉強されたそうだ。米人との厳しい競争を勝ち抜いて、学年から一人しか選ばれないチーフレジデントの地位を獲得できたのは、その精神力と人の数倍の努力があったからに違いない。

だがそれだけなら、外国人でありながら米人の上に立つ立場を歴任される人生にはならなかったであろう。自叙伝は、渡航費を出しあってくれた米人医師たちや聖アグネス病院のスタッフたちなど、周りの人への感謝で溢れている。また同病院で長年勤務されたスタッフをご家族の前で表彰し、周囲の一人一人の貢献も讃えることを怠らない。近所のレストランでは、給仕の誰もが「ドクターナカザワ、お元気ですか」と先生に声をかけていく。先生の誠実な人柄に動かされて、周りの人たちが先生を後押ししてきたのだと思われる。

そんな中澤先生だが、米国に完全に溶け込んでいるように見えて、その心にはいつも日本がある。与謝野鉄幹が「友を選ばば、六部の侠気、四分の熱」と詠ったように「パッションは自分のもの。それを今の若い人に持って欲しい。自分が何かやりたいという気持ちや夢を求めていくことが大切。」と海外で人生を送りながら祖国の発展を願う気持ちは痛いほど伝わってくる。

先生は「国を医す(いやす)には人を医す、人を医すには、まず心を医す」という中国のことわざを心に、鍼をさされるそうだ。「でもどんなに貢献しても、世の中はなかなか変わらないのではないですか」という私の弱音に先生は仰る。「そういう気持ちで治すことが大事。それが将来国を治すということになると思う。遠い道のりだけど。私は信じているの。人がなんと言おうと。」

先生のその言葉には、心の声をまっすぐに伝える誠実さがこもっている。それが鍼のように私の心に刺さり、そしてじわじわと温かさが伝わる。私が87歳になった時、先生のように人に勇気と温かさとエネルギーを与えられる人でありたいと、そんな歳の重ね方をしていきたいと心に刻む年の瀬である。皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。

さくら新聞より再掲

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