2018年6月9日付 さくら新聞掲載
私がワシントンDCに引っ越してきたのは2003年の秋。気づけばそろそろDCも15年目、引っ越しを繰り返して育った私にとっては、人生で一番長く住んだ都市になった。
DC生活がやめられないのには理由がある。多様な国籍と文化圏をバックグラウンドにもつ、引きも切らさぬ知性溢れる人たちとの出会い。都市でありながらネオンサインや看板がほとんどなく、落ち着いていること。街全体に、のびのびと枝を伸ばした大きな木々が植わっていて、樹木からさえも自由を感じられること。
そんな我が街DCだが、芸術点が低いのが玉にキズ。無料のスミソニアンは確かに素晴らしいが、生活する上で、アーティストの息遣いが感じられるようなアート感覚や遊び心を楽しめる街ではない。
…と僭越ながら思っていたのだが、過去数年で、街の中にアートを見つける頻度が増えてきた。DCを歩きながら、ふと歩き携帯から顔を見上げてみると、突如大きな壁画がちらほら現れるのに気づいた人はいるだろうか。
UストリートのBen’s Chili Bowlの横の壁には、プリンスやオバマ大統領とミシェル夫人ら、黒人を代表する人物が昨年描かれたばかり。ショー地区ではエリザベス・テイラーのセクシーな一瞥が、犬を連れて入れるビアガーデンの雰囲気を盛り上げている。コロンビアハイツ地区に立ち並ぶタウンハウスでは、2階分の壁いっぱいに描かれた巨大な少年が缶で作った電話に耳をすませ、放っておけばただのタウンハウスが並ぶだけの地域に、不思議な空間感覚が生まれている。
実はこれらは、スポンサーに頼まれたアーティストによる壁画で、ミュラル(mural)と呼ばれるもの。違法なグラフィティとは一線を画し、スポンサー付きのアーティストによる壁画という意味では、イタリアのフレスコ画の現代版である。
ただし現代のミュラルは、天使の舞うフレスコ画と違い、メキシコ革命を民衆に伝え、メキシコ人としてのアイデンティティを呼び覚ますという役割を果たした1920〜30年代のメキシコ壁画運動に強く影響を受けている。60年代の米国では市民権運動など政治社会的な分脈の中でミュラルが描かれた。また米国では、公共政策の中でミュラルが扱われてきた側面がある。大恐慌で職を失ったアーティストを支えるために、ニューディール政策の一環で連邦政府による壁画制作支援が始まっただけでなく、70年代以降には貧困や人種差別問題などによって社会からあぶれるしかなかった若者たちをコミュニティに取り込みながら、彼らが描いて回る違法なグラフィティ対策として成功した事例がある。
DCの場合を見てみると、2007年にMuralsDCというプログラムがDC政府によって立ち上げられ、これまで70以上の作品をスポンサーしてきた。MuralsDCは、ミュラルを希望する壁の提案を建物の所有者から募り、違法な落書きの多いところを中心に壁を選定。その後その地域のコミュニティからアイデアや提案を聞き、それらを取り入れた壁画のデザインを、毎年春にアーティストから募集・選定する。アーティストはプロから選ばれるが、グラフィティに興味のある14〜18歳の若者にミュラルの描き方を教えることが条件である。予算は壁画あたり8,000ドルから16,000ドルほど(2018年募集要項による)。
人目をひく大きなミュラルは通りを生き生きとさせ、人を呼び込むという点でビジネス面でのメリットがある。ミュラルがある通りはゴミが少ないという声もあり、コミュニティのアイデンティティと一致するミュラルはその結束を強める。さらに、自己表現をしたくてたまらないエネルギーでいっぱいの若者たちの落書きを消して回るいたちごっこに大量の予算を投入するのではなく、彼らにプロのアーティストと一緒に学ぶチャンスを与え、コミュニティと関わりながら堂々と表現する場所を提供する。なんとも画期的な公共政策だ。
日本では2017年に初の試みで、新虎通りにミュラルがプロジェクトとして描かれたそうで、何やら日本でも流行りそうな兆し。ジョージタウンには日本の葛飾北斎の有名な「神奈川沖浪裏」を描いたミュラルもある。ミュラルを地図上で探せるウェブサイトもあるので、週末、DCをぶらぶら散歩しながらミュラルを探してみてはいかが?
さくら新聞より再掲
ショー地区にあるミュラルの1つ。