夏のホームレスサンタ

7月 13, 2019

2019年7月13日付 さくら新聞掲載

最近のDCは珍しく気持ち良い日が続いている。もちろんこの記事が読まれる頃には、いつものうだるような夏が到来しているかもしれないが。

青空に少し雲が散らばる水曜日。ホワイトハウス近辺は、ロビイストや連邦政府や大統領府のスタッフ、敏腕弁護士、そういった人たちが、鎧のようなスーツを着てランチに出かける時間。大手弁護士事務所のトップなら、平気で時給12万円チャージしたりする、そういう世界。圧倒的に白人が多く、「タカ派」でなくても、顔がタカみたいな人たちがたくさん歩いている。ランチだって、情報交換するためのネットワーキングランチかもしれない。ここはワシントンDCなのだ。

だがその日私は、ホームレスのサンタクロースを見つけた。彼も白人だが、作業着が崩れたような服を着て、薄汚れてシワだらけな顔に数本の前歯が並んでいた。横に倒した赤い新聞スタンドの上に背中を丸めて座っている彼は、頭は少し禿げ上がっていたが、ヒゲと横の白髪は伸ばしたまま。でも細い目は優しそうで、状況が違えば、サンタクロースになれたかもしれない風貌をしている。だが彼の横には小さな手書きの看板があり、ホームレスであることははっきりしていた。

彼の前を通り過ぎ、すぐ先のお店で昼ごはんを買い、そしてまた彼の前を通り過ぎたが、そこで先日の私の友人を思い出した。

彼女はシングルマザーのローカルシアターの女優であり、ポルトガル語の翻訳・通訳を兼業していた。彼女とランチを終えて帰る道すがら、そこにいたホームレスが小銭をもらうためのコップを振っているのが視界に入る。残念ながら、キャッシュはない。ランチにはクレジットカード1枚のみを持って出かけることが多く、キャッシュカードすら持っていない。最近は携帯で決済したり清算したりできるようになり、小銭もお札も、持ち歩く理由なんてほぼ考えられない。だからコップを振る音が聞こえてきても、誰もあげようにもあげられるキャッシュなんてないんじゃないか。キャッシュレス経済が現金に逆戻りすることはないだろうし、ホームレスの人たちは益々困るだろうなぁ…などと頭の中で分析し始める。

ところが、友人のビビアンがそこで言ったのだ。

「Mariko、私はこの紳士にランチを買うから、あなたは先に行っててちょうだい」

考えつかなかった。あぁ残念だな、キャッシュはないから何もしてあげられないな。私の方はそこで思考が止まった上、状況分析に移ってしまったが、そんなやり方があるなんて。ビビアンは特にお金に余裕があるとは思えないが、とても心が豊かなのだ。

そして今、視線はもう一度、ホームレスのサンタに戻る。ちょっと勇気を出して「お腹、空いてますか?」と聞くと「あぁ、とってもね」との返事。「わかった。現金はないんだけど、そこのスタバであなたの好きなものを買ってきてあげる。何がお好み?」「ああ、ありがとう。チキンが好きだな。それとチーズも好きだよ!」

別に私は急いでるわけではなかったし、このホームレスサンタのお使いをするのが妙に楽しくなった。7ドルちょっとのチキンパニーニを買って温めてもらい、いそいそと手渡す。 「おお、ありがとう。素晴らしい1日をね!」

それだけのことだ。前を向いて歩き出し、それから少しして振り返ると、新聞スタンドの上で、彼は美味しそうにパニーニを食べ始めていた。

たったそれだけのこと。

でも、一人でサッサとデスクで食べることにしていた私の心はとても軽い。7ドルくらい、多分何かのことですぐ使ってしまう金額だ。ホームレスサンタのランチに使った方が良いだろうし、私の心はむしろ満たされた気がする。それに1ドル札をあげるより、チキンパニーニを手渡す方が、なぜか気分が良かった。

貧富の差の激しさでは全米トップを行くDCでは、上位2割の世帯が下位2割の世帯の29倍の世帯収入を稼ぐ。人口当たりのホームレス率も全米でトップだ。国民皆保険のない米国では、運悪く医療保険が途切れた合間に盲腸になってしまっただけで、その手術費用で破産しかねないのだ。自分は普通だと思ってた人がある日ホームレスになる理由なんて、案外そこここにある国、それがアメリカ。もしも自分だけでは助けられないホームレスの人がいたら、シェルターに電話することもできる。自分にも、彼らにも、ちょっとだけさっきより幸せになれるチャンスは毎日たくさんある。

さくら新聞より再掲

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