2018年7月14日付 さくら新聞掲載
夏至が過ぎ、本格的な夏がやってこようとしている。ワシントンは故郷の東京に似て、気温は30度を優に超え、そして蒸し暑い。ただしDCのオフィスで仕事をしている場合は別。風通しの良い浴衣を楽しむわけにもいかず、キンキンに冷房の効いたオフィスに何時間もいて体が冷えきってしまう。街全体で消費する冷房のためのエネルギー量を憂えながら、夏にレッグウォーマーをアマゾンで注文するという風情のなさ。
だがその直前、DCには一瞬、とても風情のある日々が訪れる。この記事を書いている夏至から7月にかけたこの時期、夕立の後の濡れた草むらの上をふっと光りながらと飛ぶ蛍たちが到来する。
蛍を実際に見て育った人は、どれくらいいるのだろうか。少なくとも関東圏で育った私は、蛍を見たことがなく、「昔はよくいた」と親に聞いて育った。
高校で教わった源氏物語では、玉鬘が佇む部屋に光源氏が蛍を放ち、彼女に恋をする髭黒が彼女を一目見るシーンが出てくる。だが、たくさんの蛍の光の中に浮かび上がる玉鬘が髭黒の目にどのように映ったのか、要するに大量の虫の真ん中に立たされた玉鬘はむしろ気持ち悪かったのではないか、など、想像するしかなかった。「夏は夜、闇もなお、蛍の多く飛びちがいたる」というさまは、きっと田舎に行かなければ見られない、昔の夏の光景なのだと思っていた。ところが、一応都会であるはずのDCでは、毎年この時期に蛍が必ずやってくるのである。
DC市内でも草むらのあるところなら蛍を見ることはできる。でももしもチャンスがあったら、是非ともほんの少し足をのばしてメリーランド州のSligo Creek ParkやGreat Fallsなどの水辺と木々のあるところに行ってみていただきたい。
なぜなら、一人歩きは危険かもしれないが、夜暗くなってから、こうした公園に行って見ると、真っ暗な中、高い木々の上から下まで、蛍が満開だからだ。リングに登場したスターのボクサーに向かって一斉に観客がパシャパシャとフラッシュをたく瞬間のよう。ぼぅっと光るどころか、クリスマスのイルミネーションのように、最盛期はパチンコ屋並みに、蛍がバチバチと恋するモールス信号を送りあっている。見上げた夜空の星が霞んで見えるほど、木のずいぶん高いところまで蛍がコミュニケーションに忙しい。
ナショナル・ジオグラフィックによれば、蛍のメスは5回に1回程度しかオスの呼びかけに応えず、たやすく手に入らない女を演じ、オスはひたすら信号を送り続ける。蛍は種類ごとに色も光る長さやパターンも違うため、同じパターンの相手を見つけて、ちょっとずつ距離を縮めていく。そして一度相手を決めたら、お互い消灯して、二人、いや二匹の世界に入るのだそうだ。ただし翌晩も同じ相手とは限らないようだが。
蛍は成長してからほんの数週間しか生きることができず、蛍の恋の季節も2週間ほどしか続かない。命短し、恋せよ乙女。暑い真夏の夜、せっかく自然の多いDC近郊ならではの、蛍の恋と光のショーを見にいくのも一つ、ロマンチックではないでしょうか。