大いなる誤解

2月 2, 2019

2019年2月2日付 さくら新聞掲載

「大変恐縮でございます」「申し訳ございません」「大変お世話になっております」

いわゆる社会人になってから、これらの言葉を今まで何度使っただろう。今では何も考えずに使っているが、社会人になりたての頃はとても抵抗があった。

言霊という日本語があるとおり、自分の口から放たれる言葉には力があり、心にもない言葉は口にすべきでない。「恐縮でございます」「申し訳ありません」と言った時、本気で怖れ縮んでいる人、何かが予定通りにいかなかった時に本当に「申し訳」がなかった人がいるんだろうか。本当に「弁解できない・理由の説明もできない」と思っているとしたら、むしろ次回から同じ失敗をせずにうまくできるのかと心配になってしまうではないか。それにまだそこまでの関係もない人から「お世話になっております」と言われるのも気持ち悪い。まぁ当初は若かったので、生きているだけで実はたくさんの人にお世話になっているという感覚もなかったのだが、それにしても実に考えすぎで可愛くない新人だったかもしれない。

そうした中、ある時、出張中のクライアントのパソコンが壊れて日本語でメールが打てなくなったことがあり、全てのコミュニケーションを英語に切り替えることになった。その時のやり取りのスムーズさと言ったらなく、回りくどいことは一切なくなり、指示内容もとても明確になって非常にやりやすかった。そういうわけで、日本の仕事メールは、とかく婉曲表現や普段口頭では使いもしない無駄な熟語が多くて時間がかかり、アメリカのビジネスメールの方が、直接的でハッキリしていてわかりやすいと信じてきた。

ところが、である。

縁あって、100%純アメリカの職場で仕事をする機会があり、初めてアメリカ人の上司や同僚を持つことになったのだが、そこでの発見は「本場アメリカのビジネスメールでも十分に婉曲表現が多く、とても丁寧で直接的でない書き方が多い」ということであった。

驚いたことに、上司からの指示は「Can you ….?」ではなく、「Would you please ….?」である。「Aさんが翻訳したので」というところは「A translated this」ではなく「A was kind enough to translate this」となっているし、いつも仕事する間柄で短いメールであっても、英語版「よろしくお願いします」、つまり「Thank you」は文末に必ず入っている。

「これをやってくれる?」という上司からのリクエストに対する同僚の返事は、「Yes / Sure」よりも「Happy to help! 」「Absolutely.」「Certainly!」などをよく目にする。「Consider it done.」という表現も出てきた。これはアメリカの政治ドラマ『House of Cards』で、上司の命令は絶対で人まで殺してしまう、やりすぎな部下のダグ・スタンパーが使っていて印象的だったのだが、まさか職場で実際に聞こうとは思っていなかった。

また指示通りに動かなかった部下に対して上司は、「Thank you」と書いた上で「Can you add this and that…」と、指示通りの対応でなかったことを指摘するよりも、よりクリアにもう一度指示を出し直す。特にクライアント向けのビジネスメールでは説明も丁寧で、ネガティブな内容もとてもポジティブなトーンに置き換えて書いてある。

当然ながら、逆も然り。一見さらりと書いてあるように見えても、直接的でない様々な表現で、確実に相手に釘をさすこともある。一方で、部下を怒鳴りつけたり、ある日本人の上司が部下に言ったように「You’re incompetent」などと言うことは、アメリカの職場ではあまりないだろう。

…つまり、意外と思ったより、直接的ではないのだ。もちろん、何においても一般化は禁物だし、職場や職種によって多少文化の違いはあるとは思うが、それでも「日本人は婉曲表現が多くて建前と本音があり、ハッキリ言わないが、アメリカ人は直接的にものを言う」というのは、少なくとも文字通りに受け止めてはいけないようだ。もしかしたら、訴訟大国アメリカでは、職場でのメール一つとっても、politically correctな表現をし、証拠として残るものは適切な内容である必要もあるのかもしれない。

考えてみると、英語でも日本語でもビジネス上のコミュニケーションの考え方は同じはずなのだが、外国語である英語で言いたいことを確実に伝えようとすることに一生懸命になりすぎると、直接的な表現になってしまうのかもしれない。たかが英語、されど英語。このご時世、誰でもできるようであって、それでいてなかなか奥が深い世界である。

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