2018年12月1日付 さくら新聞掲載
「DCの日本人女性は強いですよね。」ワシントンDCに来たばかりの日本人の方 からしばしば聞く、お褒めの言葉だ。そうか、私たちは強いのか?よくも悪くも、DCにずっと住んでいると、DCの日常を「世の中こういうもの」「これがアメリカ」と知らず知らず、思いこんでしまう節がある。DCで女性として生きていくとはどういうことなのだろう。
まずもってワシントンDCは、日本よりも、そして全米でも非常にリベラルな世界である。そういう意味で、女性として比較的生きやすい場所であることは間違いない。例えばDCは、カリフォルニア州と並んで、男女の給与差が最も少なく、全米トップである。女性の給与は男性の約9割となっており、男性とかなり同等に稼ぐことができる地域といえる。なお全米平均は8割だが、日本の場合は賃金差は73%(2016年)もある上、全米50州で日本よりも賃金差が大きいのはアラバマ州とユタ州くらいである(American Association of University Women、2018年秋)。
またDCの事業主の割合は、女性が45.5%、男性が50%と、ジェンダー差を感じないくらい女性が事業主として活躍している(Census、2012年)。統計的には、女性が社長であること自体は、DCでは驚くに値しない。給与額が同等に近いことに加えて、もはや事業主もやってのけるのだから、経済的にもワシントンDCにいる女性がどれだけ自立しているかがお分かりだろうか。そういえば、今のワシントンDCのモリエル・バウザー市長も、ショートカットが似合う46歳の女性だ。
もちろん、そうした自立を支えているのは、学歴の高さ。州人口に占める25歳以上の高学歴人口の多さではDCは全米都市で男女ともにトップであり、男性は 50%、女性はそれにほぼ匹敵する48.5%が「学卒以上」だ。この街では、修士号は男女の違いなくキャリア上必須アイテムと言っても過言ではない。
だが、こうした女性にとって一見生きやすい世界が、同時に女性にとってパートナーを探しやすい地域にはならないらしい。そもそも、家賃の平均が1,362ドル(東京の2倍以上)、給与平均そのものが約7万3,000ドル(1ドル112円計算で817万円)を超えるこの地域は、生活費が高く、非常に競争的な社会だ。この環境で生き残るためには、それに見合ったスキルが必要になるし、それ相当の努力と時間をキャリアに割くことになる。国税調査局によれば、DCの軍人を除いた労働人口の10人中6〜7人は女性である。給与差もあまりない中、むしろ女性のキャリア上の競争相手は男性よりも女性である確率が高いわけだ。これは白人も含めたDCの女性全体の数字であり、マイノリティであるアジア人女性、しかも外国人女性にとっては、ハードルはより高くなる。
さらに残念なことに、DCの大卒女性の人数は、大卒男性の50%も多い。つまり大卒女性3人に対して、男性が2人しかいないことになる(Washingtonian紙、2015年)。詳細は『Date-onomics(Jon Birger著、2015年)』に譲るが、概して女性は自分と同等かそれ以上の学歴の相手を望む傾向にあるそうで、DCでは単純にその数が合わないのだ。
その上、DCは全米で最も各州人口に占めるゲイ人口の割合が高い都市であり、DCの人口の8%強がゲイであるため、ゲイでない女性にとってはパートナー候補になり得る男性の母数はさらに減ってしまう。
こうやってみるとパートナー探しという意味ではなかなか厳しい土地のようだ。だが嘆いていても仕方がない。それならそれで、戦略を練り直せば良いのだ。少なくとも、もしなかなか理想の相手が見つからないとしても、それは統計的に最初から難しいのだと理解できれば多少は納得がいく。
そしてこの街にはインターンから中堅層まで、世界中から優秀で面白い人材が数年ごとに、入れ替わり立ち替わりやってくる。それだけ出会いには事欠かない街なのだ。 デートアプリの利用率も4人に1人と世界32都市で最も高く(TimeOut紙、2018年)、以前よりもずっと、交友関係や職場外の人と出会うことは簡単になっている。そして移住したとしても、これだけ競争的な環境で生き抜いてきたのだから、他の都市でも十分通用するだけのスキルはある。
コップの水はもう半分しかないのか、まだ半分も残っているのか。考え方は自分次第だ。少なくとも、DCの女性が強く生きている理由はお分かりだろうか。
さくら新聞より再掲